ここは がくえんさんごくしぶろぐの むらです PBC『学炎三国志』のPL様方のみリンクフリー。 背後っぺえ物も漏れ出る危険地帯故に、閲覧は自己責任でお願いします。
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ガリクソンズヒストリー その1
天羽ガリクソン 身長194cm 体重94kg
生まれは神奈川県横須賀。在日米軍基地に程近い場所にて生を受け、両親に祝福されて生まれて来る
尚、ガリクソンが生まれた後に父親は真人間に立ち直れた。母親の説得に比べて、やはり子供というのが効いたらしい
外人の血が混ざっている為か周囲よりも発育は良く、それ故に乱暴にする、という事に対して強い忌避感を抱きながら生活したものの、気は優しくて力持ち、活発で元気な子、という物を地で行く子供時代であった。週に一度、父親母親と行く教会での礼拝や説教が好きという若干変わった子でもあったが。あとは身体を動かす事が好き、という事もあり。父親が自分の得意なブレイクダンスを教えたり、ストリート系のダンスを教えたり―――母親は母親で、父親と良く踊っていたという社交ダンスのジルバやタンゴといった物を教えたり―――幸せな家族であった、と言えるのだろう。そのまま幼稚園、小学校の低学年が終わる頃まで幸せな家庭は続く。
小学校四年の頃、異能に目覚める。開眼初期から力というものに強い忌避感を抱いていた為に最初期の暴走が無かった稀有な例。火、という暴力の象徴であったという事も、精神的に押さえつけられた一助であった
きちんと子供を見ていた家庭であった為に、まず父親が異常に気づきそれを母に相談。そして二人の目の前で異能を用いた時に、家庭は壊れ。優しかった父親は見る陰もなくなり、それを嘆き中を取り持たんとする母親も、影が混じり始める。社会復帰を果たしていた事もあり、父親は母親との相談の結果、家を出る事に。離婚まではしなかったのは不幸中の幸いであろう。
その際に己を見る父親の絶望滲ませた視線と狼狽、呪いの言葉は今でも彼の胸の内にしっかりと息づき根を張り昏い昏い影を落としている。
それから当分は活発であった事もナリを潜めて、笑顔を浮かべる事も少なくなり。
異能の事や家族の事は喋られる事でもなくて、胸に鬱屈とした物を抱えたまま。
理由を話さずとも気遣いつづけてくれた友人たちに申し訳が立たなくて。母親に頼み込んで横須賀から横浜へ移住して貰って中学校へと進学
転校組で、身体が大きく、かつ。黒人という異貌。
更に友人が皆無という状況もあって、横浜の不良連中に絡まれる事も多かった。
幸か不幸かは解らぬが、そういった連中を退けられるくらいの体躯と力を持ちあわせて居た事が更に人を呼び、それに勝つ事でまた人を呼び―――
中1の夏休みが終わる頃には、キャンディ野郎(喧嘩では火の粉を払う物の、必要以上に傷つけない甘ちゃん。英語を使うのは外人の異貌だから)と揶揄され、何処のグループにも属さない一匹狼としてそれなりに有名になってしまう
それでも、ダンスは好きで続けていた―――横浜だと、そういった人たちが集まるスペースも多々有り、ダンスの腕前で自分を見てくれる連中しか居なくて。そこでのみ、と付くけれども、再びガリクソンの顔に笑顔が戻る。学校では不良連中すら近づきはしないが、それでも。
踊れる場所と、認めてくれる仲間が居れば。
当時のガリクソンはそれで良かった―――そうしたまま、一年生の冬頃に事件は起きる。
それは、有る日の事。何時ものように。路地裏のたまり場、ストリートバスケのコートもあるいつものスペースに学校を終わらせてから速攻で向かった時の事
其処に集まっている連中は高校生が多く、中学生は数人しか居なかったのだが其処に不良連中が乗り込んで来て居り、大規模な喧嘩が始まって居たのだ
ダンスが好きでそういった荒っぽい事もそれなりに出来た先輩たちであったものの、劣勢であった情勢を傾ける為に断腸の思いで異能を顕現。掌に炎を出して威嚇したり、掴んだ相手を焼いたり、炎を纏わせた拳を振るう程度で味方への被害は皆無、しかし相手方に重傷者多数という自体を引き起こしてしまう。
それを見て、ダンス仲間達は恐れる事無く自分を受け入れてくれたのであった。自分が居る事でこの場所に手を出さないであろう、という打算もあったのだろうけれども。しかし、それでも良かった。それで良い―――
横浜の一角に。DanceTeam『Black Smiles』という新興勢力が生まれた瞬間であった
『って言うのが前編なんだけどね!』
尚、ガリクソンが生まれた後に父親は真人間に立ち直れた。母親の説得に比べて、やはり子供というのが効いたらしい
外人の血が混ざっている為か周囲よりも発育は良く、それ故に乱暴にする、という事に対して強い忌避感を抱きながら生活したものの、気は優しくて力持ち、活発で元気な子、という物を地で行く子供時代であった。週に一度、父親母親と行く教会での礼拝や説教が好きという若干変わった子でもあったが。あとは身体を動かす事が好き、という事もあり。父親が自分の得意なブレイクダンスを教えたり、ストリート系のダンスを教えたり―――母親は母親で、父親と良く踊っていたという社交ダンスのジルバやタンゴといった物を教えたり―――幸せな家族であった、と言えるのだろう。そのまま幼稚園、小学校の低学年が終わる頃まで幸せな家庭は続く。
小学校四年の頃、異能に目覚める。開眼初期から力というものに強い忌避感を抱いていた為に最初期の暴走が無かった稀有な例。火、という暴力の象徴であったという事も、精神的に押さえつけられた一助であった
きちんと子供を見ていた家庭であった為に、まず父親が異常に気づきそれを母に相談。そして二人の目の前で異能を用いた時に、家庭は壊れ。優しかった父親は見る陰もなくなり、それを嘆き中を取り持たんとする母親も、影が混じり始める。社会復帰を果たしていた事もあり、父親は母親との相談の結果、家を出る事に。離婚まではしなかったのは不幸中の幸いであろう。
その際に己を見る父親の絶望滲ませた視線と狼狽、呪いの言葉は今でも彼の胸の内にしっかりと息づき根を張り昏い昏い影を落としている。
それから当分は活発であった事もナリを潜めて、笑顔を浮かべる事も少なくなり。
異能の事や家族の事は喋られる事でもなくて、胸に鬱屈とした物を抱えたまま。
理由を話さずとも気遣いつづけてくれた友人たちに申し訳が立たなくて。母親に頼み込んで横須賀から横浜へ移住して貰って中学校へと進学
転校組で、身体が大きく、かつ。黒人という異貌。
更に友人が皆無という状況もあって、横浜の不良連中に絡まれる事も多かった。
幸か不幸かは解らぬが、そういった連中を退けられるくらいの体躯と力を持ちあわせて居た事が更に人を呼び、それに勝つ事でまた人を呼び―――
中1の夏休みが終わる頃には、キャンディ野郎(喧嘩では火の粉を払う物の、必要以上に傷つけない甘ちゃん。英語を使うのは外人の異貌だから)と揶揄され、何処のグループにも属さない一匹狼としてそれなりに有名になってしまう
それでも、ダンスは好きで続けていた―――横浜だと、そういった人たちが集まるスペースも多々有り、ダンスの腕前で自分を見てくれる連中しか居なくて。そこでのみ、と付くけれども、再びガリクソンの顔に笑顔が戻る。学校では不良連中すら近づきはしないが、それでも。
踊れる場所と、認めてくれる仲間が居れば。
当時のガリクソンはそれで良かった―――そうしたまま、一年生の冬頃に事件は起きる。
それは、有る日の事。何時ものように。路地裏のたまり場、ストリートバスケのコートもあるいつものスペースに学校を終わらせてから速攻で向かった時の事
其処に集まっている連中は高校生が多く、中学生は数人しか居なかったのだが其処に不良連中が乗り込んで来て居り、大規模な喧嘩が始まって居たのだ
ダンスが好きでそういった荒っぽい事もそれなりに出来た先輩たちであったものの、劣勢であった情勢を傾ける為に断腸の思いで異能を顕現。掌に炎を出して威嚇したり、掴んだ相手を焼いたり、炎を纏わせた拳を振るう程度で味方への被害は皆無、しかし相手方に重傷者多数という自体を引き起こしてしまう。
それを見て、ダンス仲間達は恐れる事無く自分を受け入れてくれたのであった。自分が居る事でこの場所に手を出さないであろう、という打算もあったのだろうけれども。しかし、それでも良かった。それで良い―――
横浜の一角に。DanceTeam『Black Smiles』という新興勢力が生まれた瞬間であった
『って言うのが前編なんだけどね!』
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